名古屋高等裁判所金沢支部 昭和45年(行コ)2号 判決 1971年4月09日
控訴人(原告) 藤田勝秀 外六名
被控訴人(被告) 富山大学経済学部長・富山大学学長
訴訟代理人 中村盛雄 外三名
主文
原判決中、控訴人針原雄四郎に関する部分を取消し、右部分につき本件を富山地方裁判所に差戻す。
その余の控訴人らの本件各控訴を棄却する。
控訴人針原雄四郎をのぞく各控訴人らの本件各控訴費用は、控訴人針原雄四郎をのぞく各控訴人らの負担とする。
事実
控訴人ら代理人らは「原判決を取消す(1)控訴人針原をのぞくその余の控訴人ら六名の第一次的請求として、被控訴人富山大学経済学部長(以下、被控訴人経済学部長という)が控訴人藤田、同小池、同木方、同今泉、同園田、同荻田から同被控訴人宛に提出された富山大学経済学部昭和四一年度内田穣吉教授担当経済原論四単位の各履修票ならびに控訴人藤田から同被控訴人宛に提出された同学部同年度同教授担当演習二単位の履修票について単位授与、不授与の決定をしないのは違法であることを確認する。控訴人針原の第一次的請求として被控訴人経済学部長が控訴人針原から同被控訴人宛に提出された富山大学経済学部昭和四一年度内田穣吉教授担当同学部専攻科演習および研究報告一〇単位の履修票について、単位授与、不授与の決定をしないのは違法であることを確認する。被控訴人富山大学学長(以下被控訴人学長という)が控訴人針原から同被控訴人宛に提出された富山大学経済学部専攻科履修届について修了、未修了の決定をしないのは違法であることを確認する。(2)控訴人針原をのぞくその余の控訴人ら六名の第二次的請求として被控訴人学長が控訴人藤田、同小池、同木方、同今泉、同園田、同荻田から同被控訴人宛に提出された富山大学経済学部昭和四一年度内田穣吉教授担当経済原論四単位の各履修票ならびに控訴人藤田から同被控訴人宛に提出された同学部同年度同教授担当演習二単位の履修票について単位授与、不授与の決定をしないのは違法であることを確認する。控訴人針原の第二次的請求として、被控訴人学長が控訴人針原から同被控訴人宛に提出された富山大学経済学部昭和四一年度内田穣吉教授担当同学部専攻科演習および研究報告一〇単位の履修票について単位授与、不授与の決定をしないのは違法であることを確認する。(3)控訴人針原をのぞくその余の控訴人ら六名の第三次的請求として被控訴人経済学部長に控訴人藤田、同小池、同木方、同今泉、同園田、同荻田が富山大学経済学部昭和四一年度内田穣吉教授担当の経済原論四単位を取得したことならびに同藤田が同学部同年度同教授担当の演習二単位を取得したことをそれぞれ認定する義務があることを確認する。控訴人針原の第三次的請求として被控訴人経済学部長に、控訴人針原が富山大学経済学部専攻科昭和四一年度内田穣吉教授担当の演習および研究報告一〇単位を取得したことを認定する義務があることを確認する。被控訴人学長に、控訴人針原が富山大学経済学部専攻科を修了したことを認定する義務があることを確認する。(4)控訴人針原をのぞくその余の控訴人ら六名の第四次的請求として、被控訴人学長に、控訴人藤田、同小池、同木方、同今泉、同園田、同荻田が富山大学経済学部昭和四一年度内田穣吉教授担当の経済原論四単位を取得したこと、ならびに同藤田が同学部同年度同教授担当の演習二単位を取得したことをそれぞれ認定する義務があることを確認する。控訴人針原の第四次的請求として被控訴人学長に控訴人針原が富山大学経済学部専攻科昭和四一年度内田穣吉教授担当の演習および研究報告一〇単位を取得したことを認定する義務があることを確認する。(5)訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決を求め、被控訴人ら指定代理人らは「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人らの負担とする。」との判決を求めた。
当事者双方の事実上の陳述、証拠の提出、援用、書証の認否は左記のとおり附加するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。
(控訴人ら代理人らの陳述)
一、原判決は富山大学は国が設置し、国の意思によつて支配運営される営造物であつて、国と学生との間には営造物利用関係が生じ、国は学校設置の目的達成に必要な範囲と限度において学生を包括的に支配し、学生はこれに服従すべき公法上の特別権力関係が成立するとしている。
しかし右特別権力関係論はドイツにおける歴史的産物であり法治主義に反するものであつて我が国においてはドイツにおけるような歴史的背景もなく、且つ法治主義を基本的原理とする日本国憲法の下にあつては到底認めることをえない理論である。
二、特別権力関係と行政訴訟に関する考え方としては大別して三つに分れる。第一は特別権力関係に対しては一般に行政訴訟を否定する立場であり、第二は特別権力関係につき一定の場合には行政訴訟が許されるが、それ以外には許されないとする立場であり、第三は特別権力関係についても広く行政訴訟が許されるとする立場である。
第一説によれば「特別権力による行為は行政活動であり、公権的性質を有するものであるから、それに対する争訟に関しては特別権力関係の内部において認められた手段によるほか、法律に特別の定めのない限り裁判所に対する争訟の道はない。」とされている。
第二説によれば、いわゆる特別権力関係の秩序の維持についても「それが一般市民としての権利義務に関するものでない限り裁判所はこれに介入すべきではない」としたり「特別権力関係に入つている者は一面では当該関係の構成分子として当該関係の目的達成のために活動すると同時に当該関係の権力主体に対立して一定の権利義務を負う一つの権力主体としての地位を有するのであつて、前者の地位に対してなされた行為の当否は当該特別権力関係の内部において解決されるべき問題であつて訴訟の対象となりえないと考えられ、後者の地位に対してなされた行為はその者の権利義務に関するという意味で訴訟の対象となる可能性を有する」としたりしている。
第三説によれば「特別権力関係においてはかなりの自由裁量が認められているから、その範囲内に留まる行為については問題はない。けれども裁量行為に属しない行為や又は裁量の範囲をこえた行為によつて個人の権利が侵害された時は裁判上の救済を広く認めるべきであろう」としたり、法治主義の建前から特別権力関係そのものを否定し、公務員や学生の権利自由が侵害された場合、それを違法とするときは「その限りにおいて裁判所に出訴することができるのはいうまでもない。ただ右根拠たる法律が当該行政庁に自由裁量を認めている場合には、その限りにおいて出訴することができないだけである。しかしこの場合出訴が認められないのは、それが単に裁量職務なるが故であつて、かの特別権力関係におけるものなるが故に一般に出訴しえないというのと異なる」としたりしている。今日では従来特別権力関係と称されてきた諸法関係は必ずしも一括して一般に論ぜられるべきではなく、それぞれの法律関係の内容に即して特別権力関係とかかわりなく個別的具体的に検討されるべきであるとする第三説が有力にとなえられている。
三、特別権力関係論によれば、法律の規定又は個人の任意の同意にもとづいて成立する若干の特殊的法関係においては、行政主体は各個の場合に法律に根拠を置くことなしに服従者に対して命令強制をなし、その権利自由を制限しうる包括的支配権を有するものとされるのである。
わが国における特別権力関係論は明治憲法下においてドイツ公法学から輸入された学説の産物であり、ドイツにおいてはその特殊な国家理論を背景として歴史的に発生したのがこの特別権力関係論を支柱とした官吏法であり、これと類似の国家理論をもつた明治憲法下においては特別権力関係論も妥当したが、現行憲法への転換によつてこの理論は到底維持することはできなくなつたのである。すなわち、現行憲法において国会が唯一の立法機関であり、国会の制定する法律に根拠を有しない行政立法は憲法の認める地方自治法を除いて、もはや全く存在しえず、現行憲法下の基本的人権は「法律でもつて制限しない限りにおいてのみ主張しうる明治憲法的な臣民の自由および権利すなわち行政権および司法権に対してのみ保障された自由および権利ではなく、行政権司法権に対しては勿論立法権に対しても保障されたものである。」このような法治主義を基本原則とする現行憲法下においては特別権力関係の理論はもはや認められないものというべきである。
特別権力関係を肯定する立場は法律又は個人の同意によつて当該権力関係に入るのであるから法治主義に合致すると主張するものである。しかし現行憲法上仮りに法律によるとしても全く一般的包括的授権は許されないものとみるべきであり、特にその授権を具体的明示的に法律によつて示されない以上、国民の権利自由は制限できないものと解すべきである。又個人の同意といつてもそれは対等者間において個人自らが自由に処分できる権利についてのみ認められるものであつて、国家と個人という非対等的な立場にある場合にまで認められるものではない。
もちろん公務員関係、国立学校関係、国立病院関係、刑務所関係等においては、それぞれ特殊な法秩序があることは否定しえない。それはそれぞれの関係の目的を達成するために必要な法秩序であり、一般企業においてその企業目的達成のために必要な企業内秩序が存すると同様である。
従つて公務員関係、国立学校関係等においても一般企業関係と同様に解すべきであり、ただその限界は各関係各法秩序のそれぞれの目的から判断して、個別的に検討すべきであり、特に特別権力関係なる理論を用いる必要は全くないのみならず、かえつて有害とみるべきである。
四、学校関係の本質
原判決は富山大学は国が設置し、国の意思によつて支配し、運営される人的物的施設を有する営造物であり、従つてこれはいわゆる公法上の特別権力関係であるとなす。しかし元来教育関係は国の公権力とは離れた非権力的関係であり、公権力とはなじまないものである。教育基本法および学校教育法は私立、国立を問わず学校関係に適用されるものであり、学校関係の本質は私立国立共通のものである。従つて単に主体が国であるからとの理由のみでは特別権力関係とすることははなはだ妥当を欠くものである。
もつとも学校関係においてはその内部秩序を維持するために一般市民法秩序とは異つた内部規律があることは当然であるが、それは国立、私立によつて異なることはなく、この特殊秩序をもつて公権力関係ないし特別権力関係となすことを得ない。
以上のように学校関係は国公立学校についてのみ特別権力関係とみるべきではなく、広く国立、私立学校共通の基本的性質をもつ教育契約関係とみるべきであり、学校主体は学生に対しある程度の包括的な権利があり、学生はその限りで学校主体に服従すべき義務がある。そしてその支配服従の限度は学校関係の特殊性から判断すべきである。
五、包括的支配権の限界について
第一説の極端な特別権力関係論者によれば、特別権力関係に入つた以上、司法権の対象から除外されるので、その限界を論ずる余地はない。第二説の特別権力関係論者の中でも一定の限界を認める立場によれば、「特別権力関係の純然たる内部的なものと一般市民法秩序に関係するものとを区別し、後者について裁判所の介入を認め」たり、「特別権力関係の構成分子たる地位と当該関係の権力主体に対して一定の権利義務を負う地位とに分け、後者について訴訟の対象となる可能性がある」としたり、「特別権力関係においては裁量に属しない行為や裁量の踰越の場合には出訴できる」としたりしている。判例も従来一般に特別権力関係とされてきた公務員、国公立学校学生、地方議会議員等の懲戒処分についてそれらが一般に裁量行為たる行政行為であるが、裁量の濫用または踰越に到る場合には違法となり、司法権の対象となるべき趣旨を説示する傾向にある。しかしその際常に必ずしも特別権力関係に基づく処分であることを述べているのではない。
第三説の特別権力関係を否定する立場によれば「学校と生徒との間に具体的な権利の対抗関係が存する場合において生徒個人に具体的な侵害を与える教育措置に関してはすべて出訴が可能である。例えば入学、進級、卒業の拒否等はすべて出訴可能」としたり、各関係の性質およびその目的を具体的個別的に検討し、その限度を定めようとしている。前述のように特別権力関係論を不要とすれば第三説を至当とする。
六、本件についての具体的適用
本件は国立学校関係における単位の請求ならびに専攻科の修了認定請求である。国立学校も私立学校と同様に教育契約関係として把握すれば特別権力関係として理論構成する必要はなく、従つて教育契約関係の目的を直視して単位請求、専攻科の修了認定請求の当否を判断すべきである。
教育契約関係の目的についてみるに、すべて国民は教育をうける権利を有するのであり(憲法第二六条)教育契約により学校関係に入つて学生たる身分を取得した際にはその身分から教室へ入室する権利、図書を閲覧する権利、講義を受講する権利、単位を請求する権利、卒業ならびに専攻科の修了認定を請求する権利等が派生するものである。この各権利は学生としての基本的権利であり、これなくしては教育目的そのものが達成せられないのである。
学生は単位を取得し、卒業すること、ならびに専攻科を修了することを目的として学校へ入学するものであり、右各権利の中でも単位請求権、卒業認定請求権、専攻科修了認定請求権は学生としての最も重要な権利であるといわねばならない。この権利が侵害されたときには学生は権利救済を求めて裁判所に対し出訴できるものといわねばならない。
原判決も又学校設置目的達成に必要な範囲と限度においてのみ学生は包括的に支配されるとしながら、その「必要な範囲と限度」についてなんら具体的な判断を示さず、当然単位の認定、専攻科の修了は公法上の特別権力関係であるとしている。しかし「必要な範囲と限度」という制限を設ける以上、右単位の認定、専攻科の修了が「必要な範囲と限度」に入るかどうかについて判断すべきであつて、原判決のような専断的な判断は正に審理不尽といわねばならない。
仮りに特別権力関係論に立つたとしても、単位の請求、専攻科の修了認定請求は右のように学生の基本的な権利であつて、それらは一種の資格地位にかかる一般市民法秩序に関するものであり、学校主体と対立して一つの権利主体としての地位から生ずる権利であるから、「必要な範囲と限度」をこえるものというべく当然訴訟の対象となるといわねばならない。
もちろん教育関係すべてについて出訴できるものではなく、教官が講義をし試験をし採点をなすものというような実質的内部的行為は、その教官に一身専属的に附合しているものであつて、司法権の対象とはならないが、このような講義が実際行なわれたか否か、試験が適正に行なわれたか否か、単位数が規定に達しているか否か等の形式的手続的行為については司法権の対象となりうるものといわねばならない。本件においては内田教授が講義をなし試験をなし合格判定をなしたものであつて、その後の形式的手続的な単位認定ならびに専攻科修了行為を大学がなさないものであり、この点の当否に関しては当然裁判所の審査の対象となるものでなければならない。
七、法的利益について
(イ) 控訴人針原が請求している専攻科の修了は学部の卒業と同一の地位にあり、控訴人針原の単位請求は専攻科の修了に直接関係しているのであり、控訴人針原の単位取得が認められなければ控訴人針原は専攻科を修了できないのである。
(ロ) 学生は大学において如何なる単位を取得したかということは卒業後会社へ就職したり大学院へ進学したりする際には重大な要素となり、又学部長も外部に対し公文書として各学生の取得単位の成績証明書を公布していることからも単位の請求自身としての法的利益ありといわねばならない。
(ハ) 内田教授が富山大学において講義をすることは、その限りで大学自身が内田教授に具現化していることであり、一方内田教授は懲戒免職等にはなつておらず、従つて同人は講義をする権利があり、そして同人が講義をしたから学生がこれを聞くのである。故にこの内田教授を通して具現化されている大学が存在しているのに、なんらの手続をふまずにこれを否定することは学生の大学に対する信頼関係を破壊するものであり、この信頼関係の破壊という点に、これを救済すべき法的利益があるのである。
(ニ) 一方では被控訴人経済学部長が内田教授は偽造犯罪者であるから内田の講義は聞くなといい、一方では内田教授はそのような偽造はないといつて講義を続けているとき、一体第三者である学生としてはどう判断すべきか、その判断に迷うことは当然である。その判断に迷い、内田教授は国立大学の教官であり、この教官は懲戒等の法定手続に従つて処分されない以上、講義をする権利があると信じてその講義を聞いたとしても、第三者である学生としては当然の判断であり、又正しい行動でもある。このように大学の内部的紛争にまきこまれた善良なる学生を救う道は本件訴訟以外にはなく、原判決のような判断は正にこのような善良な学生を見殺しにするものといわねばならない。
八、大学設置基準について
原判決は大学設置基準は大学を設置する者に対し義務を課したものであり、個々の学生の個人的利益を擁護するために設置されたものではないとして、同基準第三一条については同条が学生の単位を請求する具体的権利を定めたものではないと判断している。しかしながら建築基準法について同法は建築者に対し遵守すべき一定の基準を定めたものであつて、隣接者に対し直接その利益をまもるために設置せられたものではないが、しかしそれでも建築者が同基準に違反した場合これによつて不利益をうける隣接者は同基準に違反することを理由として差止等の請求権があるとしている判例(横浜地昭和四二年一〇月一九日判決 行集一八巻一〇号一三二九頁)があるが、この論理に従えば、本件においても大学が大学設置基準に違反し単位を与えない場合には学生といえどもこれを請求できることは当然であるといわねばならない。
九、被控訴人ら指定代理人らの主張に対する反論
(一) 被控訴人ら指定代理人らは地方議会の議員の出席停止に関し議会の自律権にゆだねるという最高裁の判決を引用するが、右判決は地方議会についてのものであつて国立学校と学生との権利義務関係や公務員関係におけるそれには当然妥当しないものである。選挙によつて選出された議会の自律関係は同等者間の秩序であるのに対し、国立学校と学生との関係においては、学生は受益主体であり、学校に対して権利を有するいわば外部関係にあるものであつて、議会の自律関係とは全く異なるものといわねばならない。
(二) 被控訴人ら指定代理人らは国立学校は一般市民の利用に供せられたものであり、その学生に退学を命ずることは市民としての公の施設の利用関係からこれを排除するものであるから、私立大学の退学処分とは異なり、権力的作用を有すると主張する。
国立学校が公の施設の利用関係であつて私立学校が公の施設の利用関係ではないことは当然であるが、しかしそのことはむしろ国立学校においては利用者である一般市民の利益のために私立学校以上に国立学校(施設)側の行為が拘束されていることを意味するにすぎず、このことは公権力性とは無関係なのである。
(三) 被控訴人ら指定代理人らは国立学校関係について在学契約関係説にたつならば民事訴訟手続によるべきであつて、行政訴訟手続によることは自家撞着であると主張する。
しかし控訴人ら代理人らの主張はなんら矛盾を含まない。けだし、国立学校関係は本質において契約関係であることは疑いないが、ただ現行法が政策的に国立学校関係について行政事件訴訟法や行政不服審査法において行政庁の処分としているが故に(行政不服審査法第四条第一項第八号)形式的に行政行為となるのであつて、そのために行政訴訟手続によつたものにすぎず、被控訴人ら指定代理人らの主張は失当である。
(被控訴人ら指定代理人らの陳述)
一、国公立学校の在学関係が契約関係であるか、特別権力関係であるかについて学説判例上両論のあることは被控訴人らもこれを認めるが、通説および判例の大勢はむしろ後者の説をとつている。すなわち学説としては、あるいは特別権力関係の主な例として国立又は公立学校生徒の在学関係をあげ、あるいは営造物の管理関係については権力の行使を本質としないと説きながらも、「公共の利益のため多数の利用者に対し均等に役務を提供するものであることの性質上、ある程度において権力的要素を包含することを肯定し、ことに営造物の権力作用は学校、少年院のような倫理的性格を有する営造物においてもつとも著しく一種の特別権力関係を形成する」と説く、かように法治主義の原理を排除する特別権力関係論は日本国憲法下においてもなおその存在理由があるのであるが、特別権力関係を認めたとしても今日の特別権力関係は旧憲法下のそれとは異なり、特別権力を当該特殊社会関係の存立目的にてらし社会通念上合理的とみられる範囲に限界づけられているのである。そしてこのような考え方は判例上にもあらわれている。(最高裁昭和三五年一〇月一九日大法廷判決民集一四巻一二号二六三三頁)国公立学校の在学関係をもつて特別権力関係と解し、内部事項についての大学のなす行為、不行為につき司法審査の対象から除外されるという原判決の判示は肯定さるべきである。
二、控訴人らは国公立学校と私立学校との在学関係は基本的に同一であるから従つて単に主体が国であるからとの理由のみでは特別権力関係とすることは甚だ妥当を欠くと主張する。しかしこの点についても「国立および公立の学校は本来公の教育施設として一般市民の利用に供されたものであり、その学生に退学を命ずることは市民としての公の施設の利用関係からこれを排除するものであるから、私立学校の学生に退学を命ずる行為とは趣を異にする」とされている。(最高裁昭和二九年七月三〇日第三小法廷民集八巻七号一、四六三頁)
この判旨は公立大学学生の退学処分はその性質上権力的要素を含むものであるが故に、行政処分と解すべきものであることを示したものであるから、この点に関する控訴人らの主張は失当である。
三、控訴人らが本件において在学契約関係説を固執するとすれば、控訴人らは当事者適格(被告適格)を有しないものを当事者(被告)と誤つた違法がある。控訴人らの主張が正論であればすでにこの点において却下を免れない。すなわち在学契約関係説にたてば契約当事者は学生と国ということになろう。そしてその法律関係を公法上のものと解すれば、当事者訴訟(行政事件訴訟法第四条)で争い、私法上のものと解すれば民事訴訟手続によつて争わるべきであろう。この点において控訴人らは自家撞着に陥つている。よつて本訴はいずれにしても不適法である。
(証拠)<省略>
理由
まず本案前の抗弁について考察する。
一、被控訴人ら指定代理人らは被控訴人経済学部長には本訴の当事者能力がない旨主張する。
被控訴人経済学部長に対する本訴は単位不認定違法確認および単位認定義務確認を求める行政訴訟であるから、右単位認定の作為義務を有する行政庁を被告として訴を提起すべきであるところ、大学設置基準第三一条(甲第三号証関係法令二一頁)に「大学は一の授業科目を履修した者に対しては、試験の上単位を与えるものとする。」とあるところよりみれば、単位認定権者は大学という行政庁の長たる学長というべきである。
しかしながら、国立大学は他の行政庁とは異なり、学部自治を基礎として運営されているから、国立学校設置法施行規則第三条(甲第三号証関係法令三四頁)にいう「学部の長」は学長より職務を委任され単位の認定権を有するものというべきである。
富山大学においても学則第四〇条第二項(甲第三号証諸規程八頁)に「学長は、校務の一部を学部長その他に委任することができる。」旨規定されているところよりみれば、学部長は校務の一部たる単位認定権のあること明らかである。もつとも富山大学経済学部規程(甲第三号証諸規程五三頁)中には明記されていないけれども、富山大学教育学部規程(甲第三号証諸規程二九頁)第一〇条、および富山大学文理学部規程(甲第三号証諸規程一九頁)第一一条には、学部長に認定権のあることを明記しているところよりみれば、富山大学経済学部においても同様に解するのが相当である。このことは、原審証人内田穣吉の証言(第一回)により成立を認めうる甲第四号証によれば、富山大学経済学部の卒業証書の形式は「本学経済学部経済学科所定の課程を修めたことを認める」として経済学部長の署名押印があり、「本学経済学部長の認定により卒業証書を授与し経済学士と称することを認める」として学長の署名押印がなされていることからも、首肯しうるところである。
以上の説示によつて明らかなとおり、被控訴人経済学部長も本件単位不認定違法確認ならびに単位認定義務確認の請求訴訟につき、当事者能力を有するものといわねばならないから、被控訴人ら指定代理人らの右主張は採用できない。
二、被控訴人ら指定代理人らは、被控訴人らにはなすべき処分又は裁決が存しないし、仮に存するとしても特別権力関係における行為であつて司法裁判所の審判の対象から除外さるべきであると主張する。
しかしながら単位認定、専攻科修了の認定の行為は、被控訴人学長又は学長より委任をうけた被控訴人経済学部長によつてなさるべきものであること前記のとおりであるからには、被控訴人らになすべき処分が存しないとの被控訴人ら指定代理人らの主張は失当というべきである。
ところで国立大学の在学関係については、当裁判所も原判決の説示と同じく、公法上の営造物利用関係であつて、いわゆる特別権力関係に属すると考えるから、原判決の理由説示(二五枚目表三行目より二六枚目裏一一行目まで――但し二六枚目裏三行目から四行目にかけての「ひいては右課程修了の判定」を削る――)をここに引用する。
控訴人ら代理人らは教育契約関係説の立場から国立大学の在学関係も私立大学の在学関係と同じく教育契約に由来する旨主張する。
成程国立大学(公立大学も同じ)と私立大学とはいずれも教育基本法、学校教育法の適用をうけ、教育目的にはなんらの差異も認められないのであるけれども、国立大学にあつては公の施設の利用関係という点において私立大学と自ら異るものがあるといわねばならない。
しかし、いずれにせよ、大学と学生とが対等の立場にたつて教育契約を締結するものと考えることは、教育の本質よりみて失当であつて、到底採用のかぎりでない。
なお控訴人ら代理人らは、特別権力関係論は法治主義に反するものであつて、日本国憲法の下にあつては到底認めることをえない旨主張する。
しかしながら、「特別権力関係」という用語の当否はさておき、私企業においても企業の秩序の維持をはかるため内部規律が定められ、それによつて従業員間の秩序が律せられていて、これに対しては市民法秩序に関しない限り司法権行使が問題とならないごとく、公企業ないし公営造物関係において、その内部の秩序を維持するため規律を定めることはなんら憲法に違反するものでなく、その内部規律に対して司法権が及ばないものとすることも許されて然るべきであるから、控訴人ら代理人らの主張は採用できない。
ところで、特別権力関係に属するものが、すべて司法裁判所の審判の対象から除外されるか否かについては議論の分れるところである(三説あることについては控訴人ら代理人ら指摘のとおりである)が、当裁判所は第二説が至当であると考える。すなわち特別権力関係の範囲内の事項についても、一般市民としての権利義務に関するものは司法審査の対象となると解すべきである。
そこで本件について考えるに、単位の認定については純然たる大学内部のことであつて市民法上の権利義務に関しないこと原判決理由説示のとおりであるから、この点に関する原判決の理由記載(二七枚目表一行目より二九枚目表一一行目まで―但し二九枚目表四行目から五行目にかけて「ということや専攻科ないしその履修届を修了したとすべきかどうか」を削る―)をここに引用する。
しかしながら、専攻科の修了については、学部の卒業と同じ効力を有し、修了の認定を与えないことは卒業の認定を与えない場合と同じく、営造物利用の観念的一部拒否とみることができ、その点で市民法秩序に連なるものとして、特別権力関係上の行為ではあるが、司法権が及ぶものと解するのが相当である。
控訴人ら代理人らは、単位の請求も学生の基本的な権利であつて、一種の資格地位にかかる一般市民法秩序に関するものである旨主張するが、在学契約関係説の採用できないこと前記のとおりであるからには、学生に単位認定請求権があると解しがたいのみならず、単位の授与が卒業ないし専攻科修了に結びつく場合は卒業ないし専攻科修了の認定を請求すべく、単位の取得そのものをきりはなして一種の資格地位の取得とも解せられないから、一般市民法秩序に関するものとは到底認められない。
よつて被控訴人らに対する各控訴人らの単位認定にかかる各請求についての被控訴人ら指定代理人らの抗弁は理由があるが、控訴人針原の専攻科修了認定にかかる請求については被控訴人ら指定代理人らの右抗弁は失当というべきである。
三、そこで進んで控訴人針原の被控訴人学長に対する第一次請求(修了不認定違法確認請求)につき、被控訴人ら指定代理人らの控訴人針原には修了認定請求権がないから本訴の当事者適格を欠く旨の主張について考察する。
行政事件訴訟法第三七条は不作為の違法確認の訴につき「処分又は裁決についての申請をした者に限り、提起することができる。」旨規定し、申請権のある者に限定していないから、現実に申請した者は申請権の有無にかかわらず右訴を提起しうるものと解される。従つて控訴人針原が専攻科履修届を提出したこと前記認定(原判決引用)のとおりであるからには、控訴人針原が当事者適格を有すること明らかであつて、被控訴人ら指定代理人らの右主張は採用できない。
四、以上の次第ゆえ、控訴人針原をのぞく各控訴人らの被控訴人経済学部長に対する第一次請求、被控訴人学長に対する第二次請求、ならびに控訴人針原の被控訴人経済学部長に対する第一次請求、被控訴人学長に対する第二次請求(以下各単位不認定違法確認請求)、控訴人針原をのぞく各控訴人らの被控訴人経済学部長に対する第三次請求、被控訴人学長に対する第四次請求、ならびに控訴人針原の被控訴人経済学部長に対する第三次請求、被控訴人学長に対する第四次請求(以上各単位取得認定義務確認請求)はその余の点について判断するまでもなく、いずれも不適法として却下を免れず、これと結論を同じくする原判決は相当であつて、右各請求についての本件各控訴は理由なく棄却を免れない。
しかしながら、控訴人針原の被控訴人学長に対する第一次請求(修了不決定違法確認請求)についての本案前の抗弁はいずれも理由なく、原判決中右と結論を異にし控訴人針原の被控訴人学長に対する訴を却下した部分については、第三次請求についての本案前の抗弁につき判断をなすまでもなく、維持しえないからこれを取消し、原審に差戻すべきである。
よつて、民事訴訟法第三八八条、第三八四条、第九五条、第九三条、第八九条に従い、主文のとおり判決する。
(裁判官 中島誠二 黒木美朗 井上孝一)